
カンボジア出張
カンボジアへ行ってきました。
グループ会社としてカンボジア・プノンペン工場を設立するに辺り、お客様対応もあり出張してきました。
ベトナム、タイ、マレーシア、ラオス、インドネシアと、東南アジアでは大半の国は行ってきましたが、今回は初めてとなるカンボジアです。 コロナ前は成田から直行便が飛んでいたとのことですが、現在は経由便のみ、ホーチミン空港で乗り継いで首都プノンペンへ。 昨年10月に新しい国際空港(プノンペン空港 → テチョ国際空港)へ移ったとのことですが、とにかく広く、未だ何もないガランとした空港。 上海の浦東空港が出来た当初のイメージ! 空港建設は中国企業とのことなので、納得。
未だ発着便が少ないのに、なぜか到着ゲートはイミグレから遠い端っこに到着。ビザが必要とのことなので、イミグレから奥のカウンターの外国人の列に並ぶが、待てどくらせど進まない。 前にいた欧米系の白人夫婦とずっとしゃべている。 US30ドル払えばすぐに貰えるのに。 カウンターが8箇所ほどあり、20人以上職員がいるのに、なぜか2つのレーンしか使わせない。他の職員は皆ボーッと! 先が思いやられます。
ただ、ビザを取ってしまえばその先のイミグレは自動ゲートで、顔写真と指紋を取ったら簡単に入国できました。
空港に迎に来て貰った駐在員と車に乗り込みプノンペン市内へ。 会社の社用車はヒュンダイの8人乗りのワゴン車。運転手付きのレンタルで一番安いと言っていましたが大人数が乗れそうです。
市内へは渋滞があるので1時間弱くらい、途中大きなイオンモールがあり、聞くとプノンペン市内にイオンモールが3箇所あるとのこと。 カンボジア全土で人口1700万人、その内プノンペンに約300万人が住んでいて、都市部への人口密集が続いています。
歴史を学ぶと、1〜2世紀から東南アジアで最初の王朝があり、その後15世紀まではアンコールワット寺院で有名なクメール帝国があり、壮大で豊かな文化が広がって行きました。 しかし、その後はタイのアユタヤ王朝と戦争し、隣のベトナムからも攻め込まれるなど、苦しい時代が続き、フランス領となります。 1945年に日本軍の侵攻によりカンボジアとして独立しましたが、1970年に内戦が始まり、1975年〜1979年の4年間は暗黒の時代と呼ばれ、ポル・ポト率いるクメール・ルージュ政権による大虐殺がありました。
今回は時間がありませんでしたが、もし今後機会があれば「キリング・フィールド」や「トゥール・スレン博物館」へ足を運びたいと思います。
肝心のカンボジア工場は、立ち上げ途中であり社員も10名程度であり、これからが大変となります。
今回は、ベトナム・プラス1という位置付けでカンボジア工場を設立しました。社員への指導も品質管理などのシステムも、全てベトナムから支援をしていきます。 私が行った日も、ベトナムの工場から製造部隊と品管部隊が来て皆へ指導を行っていました。
ベトナム工場の社員たちも、他の工場を指導するまでに育ってくれていると、見ていると嬉しくなります。
技術面は日本(日本人)が指導していきますが、業務や品質のシステムに関しては、既に育ったグループ内の工場から支援を行うやり方が確立されつつあります。 カンボジアは、欧米の旅行者が多いので、案外英語がしゃべれる人たちも多くいます。 ポル・ポトの虐殺があり、高等教育が全て海外からの英語で書かれた教科書が使われているようで、大学出の多くは英語が通じるようです。
しかし、小学校や中学校などの義務教育でさえも、就学率は60%程度しか無く、未だ学校へも行けない子供達が多いようです。
まだ労働力として使われてしまう子供達が多いのと、教員不足、村の近くに学校が無いという校舎不足が続いているのが原因とのことです。
私も実際に行ってみることで、カンボジアという国を知り、実際に街を見ることで、歴史や現代を学ぶ良い動機となりました。
知らない国、知らない世界を知り、また一つ人としての成長となります。


