
人生の教訓
先週、叔母(母の姉)が亡くなりました。 85歳ということで、平均よりかは長生きされたましたが、それでもやはり寂しい思いが残ります。 叔母が元気だった頃なので、2年以上は会っていませんでしたが、亡くなる日の昼過ぎ、仕事の合間を見て母ともう一人の叔母と一緒に病院へ行き、最後のお別れが出来たこと、私自身にとっては本当に良かったと感じています。 私の場合は、両親も、両親の兄弟(叔父・叔母)も近場に住んでいる為、いざとなれば駆けつけることができますが、私の世代の人たちは、恐らく親元から離れ仕事をしている人たちも多いでしょう。 その場合、なかなか死に目に会えない、そんな寂しい想いをされる人たちも多いです。 それなら元気なうちに時間を作って会っておけば、確かにそれも大切なことですが、それでもやはり最後の見送りはさせて欲しいと感じます。 先月、当社の上海工場の責任者のお父さんが亡くなり、私も葬儀に駆けつけましたが、その時に喪主であった責任者から、当社に入社してまた上海を戻ることができ、親のそばでまた一緒に過ごせたこと、本当に感謝していますと、言葉をいただきました。
人というのは、最後にどれだけの人たちが看取ってくれるか、お別れを言ってくれるかが、その人が歩んで来た人生そのものなのかと考えさせられます。 長生きをすると、周りの友人たちは先へ亡くなりどんどんと周囲から人がいなくなってしまいますが、子供達や親族、仕事上の部下たちでも良いですが、自分より若い人たちは必ずいると思います。 厳格な自分であったとしても、その人たちから慕われていれば、きって人が集まって来てくれると思います。 上海の責任者のお父さんは、穏やかでとても優しい人だったと話してくれました。 お孫さんがお別れの挨拶で、私の結婚相手は、大好きなおじいちゃんに似ている人を選んだよと、涙を浮かべながら話す姿に、私も感動してうるうるしていました。 叔母(母の姉)も、親戚の集まりで会うと、軽口で多少毒舌な所はありましたが、それでもさっぱりとした性格で、私の至らない所などはしっかりと指摘してくれ、人柄もありますが大好きな叔母でした。 その為、母やもう一人の叔母など、兄弟からは慕われていて、母が最後に「ありがとうね」と寝床で伝えている姿を見ていたら、あ〜良い叔母だったなと子供の頃の記憶がよみがえって来ました。
天国へ行って先に逝ったおじいちゃんやおばあちゃんたちと、ゆっくり再会して欲しいと、心から願っています。
「命、絆、友情」など、周囲の人たちとの関わりがあるからこそ、かけがえのない思い出ができると思います。
人との関係を大切にするべき、と先人の人たちや学校の道徳の授業でも習うことです。 ただそれも、自分が普段感じる嫉妬や妬みなど、自分の心をコントロール出来ない場面があることにより、他人との関係を壊してしまいます。 私も歳を取ったせいか、たまに頑固で意固地になり、周囲と言い争うケースもあります。 そんな時は寝る前に、自分も頑固だなっと、もっと相手を尊重すべきと反省するようにしています。 このように人生において自分の心を穏やかにコントロールしていくことが、生涯の目的なのかと私は思います。 その結果が、自分の最後の日に集まってくれる仲間たちの姿に現れるのでしょう。