心通り

土日で山形に来ています。
経営していると、何かしらの信仰心が芽生えて来ますが、私もその一人です。
1年以上伺っていなかった所属の教会へ行って来ましたが、改めて神仏を身近に感じるというのは、身も心も洗い浄められ、自分自身と向き合える時間を与えてくれます。それだけでも価値があるのですが、今回は式典の最後の若い教会長のお話に、感銘を受けたので、ブログに書かせていただきます。
あなた(自分)が全知全能の神様となったらどう考えるかです。
神様は、地球や動植物など、何でも作り出せるし、物事の未来も全て知っている存在です。何千億年以上も宇宙の遥か先で、全ての物事を見ている存在であり、死ぬことも無く永遠に生き続ける存在です。
自分がやることの未来も分かってしまうので、生きていて正直つまらないですよね!
その神様のつまらない時間を共に楽しみたいと考え、人間を作ったと言われています。
ただ、神様が単に人間を作ったとしても、結局はその行く末が分かってしまう。 それならば心というものを人間に与えて、心(意思)は自分の思い通りに扱えるようにすれば、神様も思いもよらない結末を人間が与えてくれるかもしれない。人が良い事をしても、悪い事をしても、その人の意思が決める事。 しかし、物事の成り立ちは振り子運動と同じであり、他人に悪い事をすれば、自分にも相応な悪い事が返ってくる。良い事をすれば、良い事が返ってくる、神様にすれば良い事も悪い事も、それは出来事に過ぎない事なので、良し悪しは関係ない。 しかし、神様はこのような因果関係・森羅万象の仕組みを作ったことには間違いありません。 ここでポイントとなるのは、神様は人間を作って「心の自由」を持たせたという事です。 意思や魂とも言えるかもしれませんが、それが我々一人一人になるわけです。 その人の心の通り方によって、その人の人生が決まります。 例えば、親から虐待を受けている子供たち。 子供たちにしてみれば、そんな親だとは知らずに、生まれてすぐに虐待を受けて、苦しい思いをなぜしているのだろうと思うかもしれません。なんで私だけが? 周りの友達はあんなに優しいお父さんお母さんに恵まれて羨ましい。 そんな事も考えるでしょう。 しかし、神様は自分の心の通り方を自由にした分、前世や前々世にさかのぼって、自分が人に危害を加えたり、苦しめたり、殺してしまうくらい追い込んでしまっていたら、その行為にいつか帳尻を合わせなければなりません。それがその人の今世であり、自分が過去に苦しめた人が、自分の親となり、親類となり、自分を苦しめるのだとしたら、辻褄が合いますよね。 それが、もし自分が神様であり、全知全能で未来も過去も知ることができる存在であれば、そうする筈です。 人は、前世の記憶は残さずに今世を向かえます。 前世でひどい死に様で、その記憶が鮮明に残っていたら、新たな人生が辛くなるだけです。 それを無くす為に生まれ変わりに記憶を消すという浄化作業があるのかもしれません。
「願い通りでは無く、心通りで人生を歩みなさい」 私の信仰する天理教ではそのような教理があります。「願い通りの人生」とは、自分本位の人生のこと。 自分の思い通りにする、人を傷付ける事で自分はストレス発散となる。 そんな身勝手な人生を送っていたら、必ず後世で親や親類から仕返しを受ける筈です。 中には、幼少期に親から虐待を受けて、自分が親となった際にまた子供に同じ苦しみを与える人がいますが、あればひどいです。 私の周りにも、身勝手な人生を歩んでいる人もいます。
自分の人生、何をしても自分が責任を取らなければならないという事ですし、そのツケは必ず自分に戻ってくるという事です。 その分、相手に親切をし、相手を喜ばせたり、相手を幸せにする行為も、必ず自分に戻ってくるという事です。
皆が心を豊かに保ってほしいですね。

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