成人

皆さん「成人」という言葉を知っていますよね?

「成人」とは、18歳(昔は20歳)以上の者を指します。また、成長して大人になることを表します。※「成年」は18歳以上という意味

先週末に地元秋田に帰省し、私が信仰している天理教の(所属自教会の)上級教会での式典に出席しました。その式典での祭典講話で「成人」という話を聞かせて頂きました。なるほど、と思ったので皆さんにも是非聞いて欲しいと思い綴らせてもらいました。

私が信仰している天理教でもよく「成人」という言葉を耳にしますし、よく使います。しかし、天理教での「成人」は、大人になった、という意味ではありませんという話でした。私自身、今まではぼんやりとした感覚で、精神的に大人になったことかな、という捉え方をしていました。

講話の中で「成人」とは、どんなことでも喜べる心を持つこと、だと聞かせてもらいました。どんなことでもですから嬉しいことはもちろん、悲しいことがあったときでも喜べるようになること、という意味です。

ですが、例えば親や知人が亡くなって喜ぶ気持ちが持てるでしょうか?そんな状況で喜べる人はなかなか居ないでしょう。

しかし、亡くなった、という出来事に対して喜べるようになりましょう、ということではなく、そういった悲しいことがあったり失ったものがあっても、今あるものに目を向けて喜べるようになりましょう、ということでした。

そういった講話の中で「ランドルド環」(視力検査などでみかける「C」)の絵を講師の方が参加者に見せると、ほとんど(ほぼ全員)が「C」の形で欠けた部分に目がいく、という回答でした。

私たち人の心も同じで、欠けたところに意識が向いてしまいやすいということです。

先程の親や知人が亡くなった時であっても、単に悲しむのではなく今の自分を支えてきてくれた親や知人のおかげであることに感謝し、兄弟や他の知人など今も支えてくれている人がいることをありがたいと喜べる心を持つことが大切だとお聞かせ頂きました。

講師の方が両手両足を失った方と出会った時に「不自由で大変ですね」と気遣う声を掛けたそうです。すると、その方は「手や足は使えないけど、言葉は話せるし、口も使えるからありがたいですよ」と口でペンを加えてパソコン操作をしてくれたそうです。

成人とは、こういう心を持つことなんだ、と改めて感じ、失ったもの、欠けていることばかりに目を向けては不平不満を漏らすのではなく、今ある物ある事に感謝する気持ちでいることが人生を豊かにするのだと思ったそうです。

短い文章では伝わりにくかったと思いますが、当たり前を当たり前だと思わず色々なことに感謝しなきゃ、と改めて感じた講話でした。物故者慰霊祭にしても、情意評価にしても、当社には「感謝」を形にする機会が多くあります。こういったこともありがたいことだと思えるようにこれからも過ごしていこうと思った次第です。

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